寄席囃子とは?
出囃子とは文字通り演者が高座に登場する時に演奏する囃子であり、間囃子とは曲芸や手品などの演技の伴奏に使う曲です。
しかし、これは出囃子、この曲は間囃子というはっきりした区別はありません。
このような寄席の囃子は昔からたくさんの曲が伝えられておりますが、また新しく作られた囃子もあります。曲の内容はもともと寄席や見せ物小屋などで演奏されていた独特のものもありますが、多くは歌舞伎の下座音楽、長唄、端唄、 はやり唄、義太夫などから取り入れられ、それを寄席風にアレンジしたものであります
現在は前座だけは「石段」と昔からのしきたりに習い演奏されます。また、その人にふさわしい曲ということで自然に曲調によって格と いうものが決まっているようです。
但し、お正月の寄席だけは別で、決まった出囃子以外に新春らしい曲を選んで演奏することもあります。
何はともあれ、寄席の楽しい雰囲気を数々のお囃子で味わっていただけたら幸いであります。
上方落語と江戸落語
★兵庫・沖縄友愛提携三十周年記念
上方古典落語名人会プログラムより抜粋
上方弁でしゃべるのが上方落語で、江戸弁でやるのが江戸落語と言ってしまえばそれまでですが、 双方の特徴となると初期の落語を見なければなりません。そもそも、落語の起源は東西ともに江戸時代中期です。
それ以前は当時の文化人や茶人が、自分が 仕える殿様に種々の話を聞かせたところから始まります。
これをお伽衆(おとぎしゅう)と言い、今も咄本 (はなしぼん)の源流として残っています
ですが、何がしかのお金を貰って職業的な大衆芸能となると、その発端は諸芸の華咲く文化・文政の頃
(現今より二百年ほど昔のこと)そこに東西の落語に大 きな違いがあります。
上方は、野外で人の出盛る夕涼みの場所や神社仏閣の境内に葦簀(よしず)の囲いを作り、中で賑やかに演っていて人々の足を止め、笑い声で招き入れたのが始まりです。
これに対する江戸は、初手からお茶屋の座敷が会場だったから、聞く気で集まった雰囲気の中で起伏に富んだ咄も行われます。上方の場合、見台を前にして叩きながら咄振りで笑わせたようです。
そのような賑やかな派手さは、今も、上方落語に″はめもの″という囃子(はやし)が入り、背景音楽の役割をし、現に、はめもの無しでは演れない落語もあり、その分、下座(げざ)さんも難しく落語の隅々まで知っていないと勤まりません。演目『更屋敷』『万国めぐり』で、その一端を聞く事ができます。
上方から江戸へ導入されたものに演者の″出囃子″があります。これは古くは太鼓だけだった江戸に、寄席囃子として三味線が入ったのはそう遠い昔ではありません。そればかりか、落語そのものも明治の終わりごろ、七十幾つもの根夛(ねた)が移行され江戸風に焼きなおされて今日に至っております。
このような上方落語の一大特徴として″旅のはなし″がありばす。弥次さん喜多さん同様の笑いの膝栗毛ですが、上方を東西南北各方面の旅を描いたもので、一番長いものは『東の旅』で伊勢参宮のはなしで す。大阪を出発した二人連れが、奈良を見物し、日を重ねて伊勢参りを済まし、桑名から宮の渡し東海道 の草津から大妻で琵琶湖を舟で横切り、京都の名所を巡り淀川を夜船で大阪へ帰るまでを演じますと、約八時間は掛かります。いわば、大河落語とでもいいましょうか。こんな奇抜なお笑いがあるのも上方落語なら ではの奥の深さかもわかりません。